思うところがあって、エンジンをWordpressに変更しました。MT時代のテーマは、色々その仕様に依存しているため、そのまま換装できるわけでもないので、しばらくはどうやってデザインするかを把握するための格闘が続きます。
それまではバラック状態です…:-p。
思うところがあって、エンジンをWordpressに変更しました。MT時代のテーマは、色々その仕様に依存しているため、そのまま換装できるわけでもないので、しばらくはどうやってデザインするかを把握するための格闘が続きます。
それまではバラック状態です…:-p。
思えば、黎明期から12気筒エンジン車があったりして、高速路線車のエンジンパワーに一家言ある国鉄自動車局の末裔が、まさか高速路線車に低出力仕様を持ってくるだなんて、製造プレート見るまで想像つきませんでした。
このクルマが来た時、あくまで「QRG-RU1ESC*」つまり450PS仕様だと思い込んでいたので、それを知った時には目が点になった…という記憶があります。
確かに、黎明期の…350PS以上のパワーが必要だ!!と言っていた時代に換算すりゃ、(グロス→ネット換算で)360×1.15=414PSとなるので、そりゃ当時の基準からすると圧倒的なハイパワーということになるのでしょうか。そりゃ解るがコストダウンの波ここまで来たりか…と考えると。でもまぁ、当時350PSを絞り出すために20Lクラスの12気筒エンジンなんてある種化け物のようなものを(既存の6気筒エンジンのニコイチ設計なのはさておき)投入したのに対し、今やそれをはるかに超えるパワーを9Lの6気筒エンジン(ターボですが)で出してしまう(このエンジン/日野A09C自体はダカール・ラリー仕様だと600PSを超えるぐらいの潜在能力はあるのですが…)上に当時とは比較にならない経済性の高さも併せ持つのですから技術の進歩は凄いもんです。
車内仕様は、昼行便と共通化しているのか、楽座仕様なんて訳もなく、シートコンセントが全席にあるぐらいしか取り柄のない仕様なので割愛ですが、最後列でもそこそこ倒せたのでそこは良かったか。
話は変わって、この日はGW後半連休の前日であり、各地で渋滞が予想されていました。当然、この便も首都高に乗ってすぐに渋滞に引っかかり、足柄到着で1時間、朝開けてみたら新名神上ではなく名神の菩提寺PAでしかもこの時点で7:00過ぎ…という状態。京都に着く直前にまだまだ遅れるというアナウンスが有ったためか、東京出発時満席だった車内には京都を出発したら(た)を含めて3人しか乗ってない…と言う状態でした。
結果的にはその後の経路も阪高京都線→第二京阪→近畿道経由という迂回ルートで千里に向かった訳ですが、それ以上は思ったほど遅れることは鳴く、結局9:00過ぎには大阪に到着していました。
その後、三宮駅で恐らく4時間近く遅れて到着した京都経由三宮行きを見るに、まぁそれでもマシだったのか…とは思いましたが。
01/24…東京から名古屋に(1日遅れで)向かう際に、青春ドリームなごや3号で乗った機材。
色々調べてると、運用が始まったのが2014/11以降っぽいので、2014年のマイナー後モデルになるのだろうか?!ということは、ターボがVGから非対称に変わった(つまりメルセデスブランド向けのOM471の現行仕様とほとんど一緒とも)やつなんだろうか?
まぁ、そういうおニューに乗れたのはよかった。
これはイマドキのふそうの4列ハイウェイライナーの標準仕様というのであれば、「どっか」も買っとけとか思うが。少なくとも関西で見る日野/いすゞの4列高速路線仕様よりはよく出来てるという印象。寝てる時の頭の収まりがいいという点と、4列版でもフットレスト付きという点。やっぱり、そういうものを見てしまうと、低価格便でもこのぐらいは欲しいな…とは思ってしまう。
とゆーわけで、4列便の割にゃ相当に快適ではあった。
その後、名古屋から三宮に戻るときに乗った西日本JRバスのMS86MPに感じた落差…まだその後に乗った神姫の快速バス用MS96JPの方がマシかも知れんというぐらいで…(神姫のは短距離型だからトイレ無しではあるが)。
往時のRA900-Pが化けて出た(を。
…というのは、これに遭遇してまず口から出た言葉だった。
JRバス関東の企画モノで、当時の国鉄ハイウェイバスのリバイバルカラーの車が走っていたというのをまずこの時点で知らなかったから、まず何やねんコレ?!から始まって、これ(日野の青いの)があるなら、(日野の)赤いのと、ふそうの青いもあるのか?!ということまで思い巡らした記憶がある。実際これらの組み合わせは全部実在するらしいのだが…というのは、実車は1年経って未だにこれだけしか見てないからだ。最悪もとのカラーリングに戻されて目にすることすら無いかもしれない。
この企画は正式に採用された「青いつばめ」のと、試作車時代の「赤いつばめ」の2種類あって、感心したのはちゃんとメーカーもトレースしてるって言う点。赤いのをふそうにしたらそれだけで突っ込みどころになるだろうが、赤いやつはちゃんと日野(の2012年式のセレガ)にほどこしてある。赤い試作車は日野のクルマ(RX10P)だから。
一方、青いのはふそうと日野の2種類で、これまた当時をちゃんとトレースしている。従ってふそうB906Rはエアロエースで化けて出ている。
が、その運用が昼行の東北やら東関東方面がメインらしきが故に、今に至るまでこの1台にしか遭遇していない…とか、ある種日野の高速バス車両として肝心(?!)な赤いのを未だ見ていない…とか、その由来が東名名神にあるにもかかわらず、このクルマをその系統で見た例がないのはどうよ…とか、思うところはいっぱいの企画ではあるが。
特に赤いのを青春昼特急で走らせたら面白いとは思うのだが…。
とあるイベント帰りで三宮行きに乗るために八重洲南口に向かった際に遭遇。
1台目は、ある程度ネタ性のあるものがいいかと思い、これを選択。
撮影会のロケ地である鞆の浦に向かう交通機関を探っている時にこれにぶちあたる。
なんとなく「血」が騒ぐので、これにどうやったらありつけるのか?!を考えた挙句、どうやら始発ならぎりぎり間に合うという結論に至り、本来ならもう少し寝たい…と思うところを、西明石発の始発電車で地道に福山駅を目指す。
(た)の記憶にあるいすゞのバスは、恐らく岩手県交通で散々走ってたBU10やらBU04あたりまでぐらいだ。ボンネット車というのは流石に1970年台の岩手県南の沿岸ですらほとんど見ることはなかったし、挙句当時のその辺りは、国際興業の影すら無い(?!)その前身の岩手県南バス時代で、日野のウィングエンブレムの付いたバスの記憶しかない。
まぁいいや。とりあえず福山には発車前に到着。老体に拷問のような半ば通勤時間帯のような混みようでバスは鞆の浦へ出発。
ここで既に当時の予燃焼室式でエレキの力など借りない機械噴射な自然吸気エンジンが音を上げてて、実は現行フォワード用のコモンレール直噴ターボエンジンでも積んでるならよゆー♪で走るのだろうが「わしゃまだ元気」とばかりに唸りを上げて川沿いを海へ進むのであった。
写真は、終点到着後に撮影。まだ他の参加者もモデルさんすらもやってくるのは相当先…ということでこの後少しだけ観光してましたとさ。
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運転席。よく見るとハンドルのいすゞのマークが昔のやつではない(且つ今のでもない)ので、他の車から転用せざるを得なかったのかな?!と。